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<爻辞>
「其の祖を過ぎ、其の妣に遇う。其の君に及ばず、その臣に遇う。咎なし」
<読み方>
その そを すぎ、その ひに あう。その くんに およばず その しんに あう。とがなし。
<爻辞の意味>
「祖父を過ぎ、曾祖母に会う(縁を持っている)。君主に会わず、その臣下に会う。咎められる過失はない」
「雷山小過」とは「小さいものが過ぎる・少し過ぎる」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この二爻は本来、祖父を通り過ぎ(その上の存在である)曾祖母に会う縁を持っています。
曾祖母に会う縁をもっているのですが、控え目であるため、あえてそうはしません。
もしこれを国に当てれば、君主にあう縁故を持ちながら、控え目であるがゆえ直接会わず、
身近な臣下の仲介にて物事を伝えてもらうようなものです。
縁故があっても、その分にないと思えば行き過ぎた行動を慎むことのできる者なので、咎められる過失はないと言っています。
※ こちらの雷山小過二爻は、どの爻を何とするか諸説あるようですが、大意は同じです。
上記は漢文学者の公田連太郎先生の解説に基づいております。
下の加藤大岳先生は、また少し違った解説をされていますが、色々な説を読むのも勉強になりますので、ぜひご覧ください。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この爻は柔中であって、過ぎてもって亨ることを得られます。
祖とは祖父のこと、妣とは祖母のことです。
この二爻を孫婦とし、五爻を祖父とし、四爻を祖母と見ます。
男は年寄ると穏和さが増し、五爻の陰爻であるもの相応しくなります。
また女は年寄ると中性となり、なかなかに威厳がついて、それを四爻に見立てたのです。
そこで二爻の貞淑な孫婦は、柔中の徳があって、しかも二~四の互体の巽の主で、巽順に過ぎるものです。
ですから、祖父にはもちろん恭敬に過ぎるくらいに仕えるし、祖母にも夫の命に従うような従順さで遇うのです。
同じ事を君臣に当てると、君は五爻で臣は四爻です。
二爻は五爻の陰柔の君に恭敬を尽くしながら、四爻の有力な側近の臣に相談する。
これは、五爻を軽んじるのではなく、むしろ畏れて側近を通じるのです。
このように、その君に及ばずにその臣に遇っても、しかしその臣はあくまで君を凌ぐことはできないのだということです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)