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<爻辞>
「鹿に即きて虞なし。唯林中に入る。君子幾をみて舎るに如かず。往けば吝」
<読み方>ろくにつきて ぐなし。ただ りんちゅうにはいる。くんし きをみて すつるに しかず。ゆけば りん。
<爻辞の意味>
「鹿を追いかけて、案内人もいないのに山林 奥深くへ進んで行ってしまう。君子ならば危険を感じ引き返す。しかし、そのまま進んでいくようならば、凶に向かっていくようなものである」
水雷屯の時というのは、初爻のように、どっしりとした大きな石のごとく動かないことがお手本でしたね。
ですが、この三爻は案内人もいないのに、どんどん獲物を追って山林の奥深くまで進んでいってしまいます。
危険を察知し、すぐに引き返さなくてはなりません。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
「鹿」とは狩りの獲物という大意で解釈します。
鹿は「ろく」と音読みし「祿(ろく=幸)」に通じさせるということも言えます。
「虞」というのは、森林の取り締まりをしている役人のことです。
震を壮士とし官とする…山の案内人というような意味にもなります。
この三爻には応爻も比爻もなく、つまり導いてくれる案内人もいないのに、獲物を追ってどこまでも行く…それで迷い込 んでしまう。
そこで「君子幾をみて舎るに如かず」となるのですが、「幾」というのは動こうとする兆しのことで、危ういほうへ変化しそうな瞬間をとらえ、それに近寄らない、迷う前に止まらなくてはいけない、という教えなのです。
三爻は屯難の中にありながら、その身は陰柔不才・不中正です。
その上、内外の境の難所に位置している。
だから恐れ慎んでいなくてはならないというのに、内卦震の終わりに当たるので進みやすい。
それを戒めているのです。
吝は口を文(かざる)ということで、結局は失策するのですが、自分には責任がないように偽りを吐く。
そうして過ちの深みへと更に陥って行くのです。
「往けば吝」とは、危うい兆しを見たら止まらなくてはならないのに、止まらなければ吝を見るということです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)