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<爻辞>
「酒食に困しむ。朱紱方に來たらんとす。用て享祀するに利ろし。征けば凶。咎なし」
<読み方>
しゅしょくに くるしむ。しゅふつ まさに きたらんとす。もって きょうし するに よろし。いけば きょう。とがなし。
<爻辞の意味>
「苦しい時期だが、酒食で心身を養いながら時期を待つ。そうするうちに天子が来てくれる。
真心でお祀りするのがよい。自分から行けば凶だが咎めを受けることではない」
「沢水困」とは「行きづまって苦しみ悩む」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この二爻は、酒食を楽しみながら困窮から脱する機会を待っています。
その機会を「天子が自分を求めて来てくれる」ことに喩えていますが、決して自分のほうから出向いてはいけないとしています。
真心でお祀りするように事に当たりながら脱却の時を待つのです。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この二爻は「困しみて、その亨るところを失わない」剛中の君子です。
それで困窮のなかにあっても、騒がず悩まず、酒食に宴楽しながら時運が回って来るのを待てるのです。
それゆえ「酒食に困しむ」と読むより、むしろ「困・酒食においてす」と読んだ方が分かりやすいかもしれません。
これは水天需五爻の境地にも似ており、酒食は言うまでもなく坎の象です。
そうして焦らずに、苦しさに耐えながら貞を守っていれば(応位の五爻とは不応ですが)天下の困を救わなくてはならないので、やがてこの二爻の器を認め、五爻が引き上げにやってくるというのです。
「朱紱」というのは、絹の膝かけのようなもので、天子の服飾ですから五爻を指しています。
この爻の変卦は萃で、萃は祭祀の卦でありますが、困中にあって同陽の五爻に感応するというのは、これは作為ではなく、神を祀るような誠のなすところです。
困において尊ぶのは、このような理屈や功利を超えた誠実なのです。
それなのに、こちらから求めて出向くようなことがあれば、たとえそれだけの理由があっても、志を遂げることができません。「口を尚びて窮する」ことになるのです。
上記のような意を「用て享祀するに利ろし。征けば凶」と言ったのです。では、その後の「咎なし」とは、どういう意味でしょう。
諸説では「征けば凶なるも、咎なし」と解して、進んで困の打開に赴けば、その身を傷つける凶を見るかもしれないが、義において咎がないのだとされています。
しかし私、加藤大岳は、この「咎なし」を衍文(えんぶん=誤って書き入れられた文)とみなし、不要であると考えています。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)