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<爻辞>
「引かれて吉。咎なし。孚あれば乃ち禴を用いて利ろし」
<読み方>
ひかれて きち。とがなし。まことあれば すなわち やくをもちいて よろし。
<爻辞の意味>
「引かれて行って吉。咎めを受けることはない。真心があればお供え物は少なくて良い」
「沢地萃」とは「たくさん集まる」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この二爻は、集まるべきところ(仕えるべきところ)へ真っすぐに進んでいくことができます。
相手もそれを求めているので、二爻を引き上げてくれます。
そのように心が通い合っているならば、形式的なことにはあまりこだわらなくて良い…、
その喩えとして「真心で祈るならお供え物は少なくて良い」という文が添えられています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この二爻は、剛中の五爻に正しく応じている柔中の爻です。
ですから、こちらから特に努めて進んで行こうといった努力をしなくても互いに引き合って手を伸ばしてくるのです。
従って、正しく柔中を守っていれば、五爻から引立てを受けるので「引かれて吉」であります。
これはとても東洋的な考え方ではありますが、下にいる有能な者を引き上げるのは、上にいる者の役目なので、下の者はそれを待っていれば良いのであって、自分の才能をひけらかしたりして宣伝しなくて良いと言うのです。
このように中虚の坤の虚心をもって、この爻が君にあつまるような孚があるならば、
萃は必ずしも多くの牲えがなくてはならないと定めているわけではなく、供物の乏しいことはあえて咎めるべきではないというのを
「孚あれば乃ち禴を用いて利ろし」と言っているのです。
坤の中虚であることを私心のない孚の意に取ると共に、物の乏しい象にも見て、このような爻辞が生まれました。
禴というのは禴祭(やくさい)のことで、供物なども簡約な祭りです。
禴祭は、春と夏のどちらに行われるのか二つの説がありますが、いずれにしても収穫の秋ではないので、
供え物を盛んにして神にささげることができません。
牲えを乏しくして精神を尊ぶのが禴祭で、それは臣道をもって君に引かれて集まる、この爻の体すべきところです。
この二爻は、正応の五爻に従って貞を守り、その志を変えることがないのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)