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〈爻辞〉
「无妄行けば眚いあり。利ろしき攸なし」
〈読み方〉
むもう いけば わざわい あり。よろしき ところなし。
<爻辞の意味>
「無私無欲・至誠真実の精神で、これ以上進んでいくならば、わざわいを受ける。良いところはない」
「天雷无妄」の卦(か)は「無私無欲・至誠真実」について説かれた卦です。
そんな中この上爻は「無私無欲・至誠真実」の精神は良いことだからと言って、もはやこれ以上に進むところがないのにもかかわらず、まだそのことに執着し、極めようとしている者です。
それでもなお「无妄の道」を進んでいこうとするならば、それはもはや無私無欲でも至誠真実でもなくなり、邪の道へ外れることになります。
したがって、わざわいを受けることになるのです。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この上爻は、本卦で「正に匪ざれば眚いあり」とあった辞に該当する爻です。
そして妄のままに動いて眚を作るのですが、それというのも、この爻が卦の極まるところにあって不中不正、天の時を顧みるゆとりがなく動くからです。
少しも良い所がありません。
これが普通の解釈ですが、この爻が妄をもって動くという根底を突き詰めて行くと、本当はただの妄ではないのです。
无欲でなくてはならない、无私でなくてはならないと、そのことにのみ捉われる。
これが、ひとつの妄となってしまうのです。
无妄の極みにいて、无妄ならぬ无妄に陥り、无妄の真実の意義を失ってしまうのです。
これは普通に欲望のままに動くのより、更によろしくありません。
例えて言えば、欲を捨てるために地位をなげうって出家したり、形を顧みないということを示すために妻子を打ち捨て慈善的仕事に奉仕したり……そういう无妄に捉われた无妄は一つの作為であり、もはや真実の无妄とは言えず、无妄と言うことに捉われて、かえって妄を生ずるものと解するのが正しいでしょう。
この考え方でもって、この爻辞を読めば「无妄にして行くも?あり。利ろしき攸なし」ということになるでしょう。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)