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〈爻辞〉
「膚を噬みて鼻を滅す。咎なし」
〈読み方〉
はだえをかみて はなを めっす。とがなし。
<爻辞の意味>
「柔らかい肉を噛んで鼻が見えなくなる。咎なし」
「火雷噬嗑」とは「障害を打ち砕いて和合一致させる道」について説かれた卦(か)ですが、それぞれの爻の意味としては「罪人」と「罪人に刑罰を与える役人」として書かれています。
罪人を裁いて(障害打ち砕いて)、平和的にする(和合一致させる道)のが火雷噬嗑の卦ですから、なんら違和感はありませんね。
そんな中この二爻は「罪人に罰を与える側」の役人です。
そしてこの役人は、正しく素直な役人なので、それが功を奏し、罪人も思いのほか素直に白状します。
その様子を「なかなか噛み千切れない肉だと思い、思い切ってかぶりついてみたところ、鼻が隠れてしまうほど深く噛みこむことができた」と喩えているのです。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
膚というのは肉の外皮の軟らかいところで、これを柔和な形容に使われています。
初爻と上爻は、頤が噛み合わせるように人の体を痛めつける木具、枷として象をとっておりますが、二爻から五爻までは頤の中にあって噛まれるものなのです。
「噬嗑は食なり」という、その食餌、肉食の象です。
そして初爻は足でしたが、二爻は二~四爻の艮で鼻としています。
そこで「膚を噬みて鼻を滅す」ですが、これは軟らかい肉を噛んで鼻まで見えなくなるほど深く食い入るという意味です。
言いかえると、獄を用いるに利ろしの時に当たって、刑罰を行い、柔中のこの爻が柔軟な態度をもって臨み、容易に事が運ぶことを形容したものです。
それで咎なきを得るのは言うまでもありません。
しかし刑獄を司るには、いつでも柔軟なのが良いというわけではなく、厳しい態度で臨まなくてはならない時もあります。
それなのに、この爻が、柔をもって咎なきを得ることができるのは、初爻の上に乗っている、いわば剛情頑固な者を裁くようなものであるから強く臨めばかえって噛みつかれる危険があります。
ですから、柔よく剛を制して、咎なきを得るのだと言っています。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)