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<爻辞>
「其の沛を豊いにす。日中沫を見る。其の右肱を折る。咎なし」
<読み方>
その はいを おおいにす。にっちゅう まいを みる。その ゆうこうを おる。とがなし。
<爻辞の意味>
「草が覆いになっている。日中に小さい星を見る。その右ひじを折る。咎められるような過失ことはない」
「雷火豊」とは「豊かさに処する道」について説かれた卦(か)です。
そんな中この三爻は、ひとつ前の二爻より一層、辺りが暗くなってしまったところです。
二爻同様に、草が豊かに茂り過ぎて辺りを暗く覆ってしまっています。
そのため昼間なのに星が見えるわけですが、こちらの星は二爻の北斗七星と違って小さい星です。
目立たない小さい星までもが見えるということは、さらに辺りは暗いということです。
そして、この三爻の相手というのは、大変悪いものであるから、いくらこの三爻が賢明であっても上手くいきません。
そのことを「右ひじを折った」ように不自由だと解釈したり、手を結ばないよう「右ひじを折る」としたりします。
いずれにしても悪いのは相手であり、この三爻ではないため「咎められる過失はない」と言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
ここでは応位の上爻との関係を見ることになります。
上爻はこの三爻と応じていますが、外卦震の極にあり、震の正徳を失い、震為雷の卦に「震索索たり」とあったようなものです。
ですから、これも力を合わせて利をもたらすよりも、かえって妨げとなることを「其の沛を豊いにす。日中沫を見る」と言っています。
そして、陰陽で応じながらも、これと力を合わせることをしないのを「其の右肱を折る。咎なし」と表現しています。
沛というのは、諸説ありますが「?(ふつ)」という字に当てられ、草の盛んに繁ることです。
ですから二爻の「其の蔀を豊いにす」とほとんど同じ意味です。
しかし蔀には「斗を見る」とあったのに対し、ここでは「沫を見る」です。沫とは北斗第六星の傍にあって、斗よりも一層小さい星ですから、二爻よりも一段と暗くなったわけです。
そして上爻と対応することが、そのような暗昧を生むことになっても、初爻のように「旬と雖も咎なくして往く」ようなことをせず、また二爻のように「孚有りて発若」たることも念じないのは、上爻がともに力を合わせて事を盛大にする相手として最も不適切であるからです。
そうして上爻と結ぶことを拒むのですが、この爻は離火の激しさを示す三爻であるため、同じ拒むにしても荒々しいやり方であり、自分の右肱を折って役に立たないようにしてしまうのです。
ともに手を握って事に当たって行かなくてはならない肱を折ってしまうのですから、上爻から求めて来ても手を握ることが出来ません。
そうなってしまったことは上爻にとってこそ咎ですが、この三爻にとってはかえって咎なきを得る所以だというわけです。
易では陽を右に当てるため、右肱と表現されています。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)