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<爻辞>
「屯如、邅如、馬に乗りて班如。冦するに匪ず。婚媾せんとす。女子貞にして字せず。十年にして乃ち字す」
<読み方>
ちゅんじょ、てんじょ、うまにのりてはんじょ。あだするにあらず。こんこうせんとす。じょし ていにしてじせず。じゅうねんにして すなわち じす。
<爻辞の意味>
「馬に乗りながら、ためらってウロウロしてしまう。なぜなら近くにいるその相手が自分に結婚を求めてくるから。
しかし安易にその人には嫁がず、10年経って正しい相手に嫁いだ」
この二爻にとって、隣にいる初爻は大変、魅力的です。
そしてすぐ隣にいるので身近でもあります。
しかし、それは正しい相手ではなく、正しい相手はもっと遠くにあるのです(五爻のこと)。
それを分かっているこの二爻は、迷いウロウロしながらも安易に初爻と手を結びません。
時間はとてもかかりますが、それを乗り越え正しい相手、方向へと進んでいきます。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
「如」というのは、みな助詞です。
屯如というのは、難みの中に動き、進もうとして進めないのを形容したものです。
邅如も似たような意味で、進もうとして控えている形、あるいはぐるぐる回りのことです。
班は半分という、ためらいの形で、決心がつかない意味。
乗馬は、震を馬とし初爻の陽に乗って進もうとし、また退こうとしている。
この?如は、どうしてこのような状態になってしまったのかと言うと、この二爻は五爻と正しく応じているのに、初爻と比し、これに乗っています。
しかも、初爻は「建てられて侯たるに利ろし」ほどの者なので、これに心惹かれ、正応の五爻のもとへ真っ直ぐに応じていくのをためらっているのです。
婚姻の正道では、応爻を正当な配偶者と見ます。
したがって二爻は、五爻が夫であるべきですが、進んでその夫のもとへ行こうとしても、今は屯難の時なので、なかなか思いを果たすことができない(屯如)。
一方、初爻は身近であって、引き合いやすい。
それで、どちらに行こうかと思い迷う……それが「馬に乗りて班如」です。
しかし、この二爻は柔順中正の爻なので、結局、正応の五爻を捨て初爻へ行くようなことはしない。
そしてまた初爻も「磐垣たり」の爻ですから、求婚こそすれ冦を加えようとしているわけではない……それが「冦するに匪ず。婚媾せんとす」です。
こうして、十年もの長い間、この二爻はみさおを守り、そして屯難が解けた後に初めて五爻に嫁入りするというのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)