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<爻辞>
「面骨に壮んなり。凶有り。君子決し去るべきは決し去る。
獨り行けば雨に遇う。濡るるが若く慍らるる有り。咎なし」
<読み方>
つらぼねに さかんなり。きょう あり。くんし けっしさるべきはけっしさる。
ひとり いけば あめに あう。ぬるるが ごとく いからるるあり。とがなし。
<爻辞の意味>
「盛んな気分が面骨に現れている。凶事がある。君子は排除すべきは排除する。
独りで行けば誤解され怒られるようなことがあるが咎めを受けることではない」
「沢天夬」は「裂き破る」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この三爻は、悪を裂き破ろうと血気盛んで、その気分が顔に表れてしまっていると言っています。
そんなあからさまでは計画は上手くいかず凶。
しかし君子(立派な人)ならば、まったく顔に出すことなく、それどころか一人で近づいていったりします。
その様子を見て周囲の人間は「あいつは悪に汚れた」などと誤解しますが、悪を破るチャンスを伺っているわけですから、咎めを受けることではないのです。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
「つらぼねに壮んなり」というのは、初爻に「趾を前むるに壮んなり」とあったのと同じで、爻変の兌を頬とするのですが、元来が乾で骨ばっているので、つらぼねと言っています。
夬の決意が顔の面骨にまで現れる…血気盛んな色が出ているという、ひとつの血色です。
五陽爻が皆、上爻の一陰を決去しようとしている時なのですが、この爻は乾卦の極にいて、進むことが特に甚だしい。
しかも陽位の陽爻ですから、その気持ちが頬にまで表れています。それでは上爻に、すぐ察せられ、逆にこちらがやられてしまう危険があるので「凶有り」とするのです。
これが大壮で言えば、小人は壮を用いることに当たります。君子は用いません。
君子はどうするのかと言えば、この卦において決し去らせる上爻は、この爻と陰陽相応じています。
ですから決し去るに忍びない所もあるわけです。
しかし全体としては決し去らなくてはならないので、全体の道をよろしくするためには私情に捉われず、あくまでも事を遂行しようとします。これが「君子決し去るべきは決し去る」です。
しかし君子は、決すべきを決するにしたところで、まだその機が熟さないときには、小人のように、その心を面骨に現したりはしません。
それで「獨り行けば雨に遇う。濡るるが若く慍らるる有り。咎なし」とあるように、陰陽応じているので情において上爻を決し去るには忍びないわけですが、それを他から見ると上爻と相通じていて五陽爻の盟約を裏切っているのではないかと疑われます。濡れ衣を着せられるわけです。
そして他の四陽爻から、ひどく慍られる事などあるかもしれないが、決して私情に囚われて全体的立場を無視するようなことはない……それで咎なきを得るのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)