らいてんたいそう ほんか
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━━━主爻
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〈卦辞〉
「大壮は、貞に利ろし」
〈読み方〉
たいそうは、ていに よろし。
〈説明の要点〉
この雷天大壮は、ひとつ前の天山遯の卦を逆さまにしたものです。
ですから、卦意もアベコベとなるのは当たり前です。
遯では、陰の勢いが増長するので、陽の君子は遯れるという意味を見たのに対し、この大壮は陽の勢いが盛んであるといった内容です。
壮という文字は、壮年、勇壮などと言うように、男性的な勢いの良さ……陽の勢いの壮んなことです。
ですから「大壮」と言えば、大畜や大過がそうであるように、陽を大とし、大いなるものが壮んなことであり、また大いに壮んなことでもあります。
そして、この大壮は第一に消長卦として見るべきで、一陽来復の復より臨、泰を経て陽気の盛壮を示すに至ったと見るべきです。
小成卦の卦徳を取れば、内卦乾を大剛として外卦の震を奮進とするので、大剛なるものが奮進すれば大いに壮んであることは言うまでもありません。
卦象を主としても、内卦乾の天上に外卦の雷が奮うのですから、これもまた大壮です。
そして大いに壮んであれば勢いの赴くところとして、どうしても行き過ぎてしまいます。
止まるところで止まれず、必ずそれが禍根となって、やがて破綻します。
歴史の変転も、ことごとくそれであり、私たちの周囲でも身近な実例が沢山あります。
ですから、大いなる者が壮んである時は、行き過ぎを戒めるということが何より肝心であるとともに、最も至難なことでもあります。
更に、その止まるべき一線は何であるかと言えば「一に止まる」の文字通り、正しい所です。
行き過ぎず、しかも退かない正しい所に止まってこそ、大壮を維持できるのです。
そのことを「大壮は、貞に利ろし」と記しています。
これは六十四卦中、最も短いものです。
「大いに壮ん」であることを吉とも言わず、亨るとも言いません。
ただ、大壮の勢いのままに引きずられ、過剛をもって暴虐、傲慢、自らを制御することが出来ずに道を失い、ひとりで窮地に至ることのみ戒めたところに、やはり易の深さが感じられます。
大壮の止まり得ない現実を前提とし「止まれよ」と教えているのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)