てんぷうこう ほんか
━━━
━━━
━━━
━━━
━━━
━ ━主爻
〈卦辞〉
「姤は、女壮なり。女を取るに用うる勿れ」
〈読み方〉
こうは、じょそうなり。じょをとるに もちうる なかれ。
〈説明の要点〉
「姤は遇なり」と説かれています。
この「遇」という字は、「逢う」や「会う」などの「あう」と違って、思いがけなくあう、礼を具えずに会うという意味があります。
夬は、上爻の一陰を五陽爻が決し去ろうとする卦でしたが、決去してしまえば乾為天となります。
上に小人がいると全ての秩序が乱れるので、これを取り除き、陽の君子ばかりの世界にしたのが乾為天です。
しかし、全陽の世になったが、それを永続して行けるかと言えばそうではありません。
下の方の、あまり目立たないところに一陰がひょっこり出て来た……これは思いがけない出来事であるわけです。
これは十二消長卦中の一環として、下に帰ってきたのが陽ならば地雷復ですが、ここでは陰が復って来たわけです。
地雷復においては、陰の小人ばかりが蔓延っている世へ、陽の正しさが復って来たのだと見て、喜びを表しているのに引き換え、この姤においては、小人を追い払って、やっと理想社会が実現したと思っていたら、呼びもしないのにまた、やってきたのかと少々、じゃま者扱いにしてい
るのです。
復の一陽は待望されて迎えられるのですが、姤の一陰は嫌忌されているように見えるのは、陽を正とし尊しとし、陰を不正とし卑しとする易の根本思想に由来しますが、この卦名を見ただけでも、そのことが分かると思います。
また、姤の一陰は、五陽爻が引いてきたのではなく、自ら進んできたのですから、勢いの強い、進むことを専らとする爻であると見ることが出来ます。
内卦の巽は長女で、女の壮なるものです。
そのように陰の強い意味があり、消長卦から言っても、陰の強くなって行く成り行きがあるのです。
そのようなことから「姤は、女壮なり。女を取るに用うる勿れ」となります。
一陰が次第に勢いを増して行って、陽を剥ぎ落としていくので、これを娶ってはいけないと言っているのです。
陰を卑しめ陽を尚ぶのが易の性向ですが、しかしそれは義においてそうなのであって、情においては必ずしもそうではありません。
しかし情において、それを好む本能が強ければこそ、そのために生まれる偏執を正す中庸の思念から、陰を卑しめ陽を尚ぶ義理を作り出したとも言えるでしょう。
この義と情との織り成すところに、この卦の妙機があると言えましょうか。
爻象では、むしろ好むところの本能のすがたを見る傾向があります。
それで、下に生じた陰と交わることを、この卦辞も一概にしりぞけているのではありません。
姤は礼を具えずに遇うのですから、いわば私通であり淫行であります。
それは久遠の営みの1小節ですから、夫婦の交わりと称することはできません。
ですから、女を取るには、やはり咸の礼を具えていなくてはならないということです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)