らいかほう ほんか
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━ ━主爻
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〈卦辞〉
「豊は亨る。王之に假る。憂うる勿れ。日中に宜し」
〈読み方〉
ほうは とおる。おう これに いたる。うれうる なかれ。にっちゅうに よろし。
〈説明の要点〉
この卦もまた、外卦が震で、しかも三陰三陽で成っている卦です。
豊というのは、大きく盛んなことです。
帰妹は、兌の悦びをもって動くので「征けば凶」と戒めていましたが、こちらは離の明らかさをもって動くので、例えてみれば日輪が天をめぐるようなもので、いかにも盛んで、また大きいので、これを豊と名づけました。
しかしそれよりも、帰妹を「震雷が兌の秋に奮っている」と見たように、これを夏に奮っていると見たならば、それはいかにも勢いが盛んであり、最も大きく奮う時ですから、豊の卦名に相応しいと言えます。
豊は勢いが盛んな時であり、卦象に則して言っても、明るさをもって動くのですから、もとより亨通を得ることができます。
これを人間社会に当てて言えば、世を盛んにするのは、そこに君臨している者の力です。
このことを「豊は亨る。王之に假る」といっています。
「假る」とは「至る」で、王の意とするところが形となって、この豊に至ったという意味なので「王之に假る」が正しいのですが「王これを假す」という意味を含めて考えると分かりやすいです。
しかし、そういう盛大さが現れた時、さてそれからどうするかというと、もうこれ以上に盛んにする事はできないので、あとはその盛大さを保有するのに腐心しなくてはなりません。
この、保守するということは、進取して大を致すよりもっと難しく、ともすれば後退や衰亡の兆しが出やすい…。
離下震上の卦をそのままに、日輪の勢い盛んに東天を昇る象とするならば、その日輪が中天にかかれば、今度は西に傾いて行くばかりです。
そこに豊の憂いがあるわけですが、徒に憂えることをせず、日が中天にあるうちに成し得ることを成し遂げ、最善を尽くしたならば、それで良いではないか、というのが「憂うる勿れ。日中に宜し」です。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)