さんたくそん ほんか
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━ ━主爻
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〈卦辞〉
「損は孚あり。元吉。咎なし。貞にすべし。往く攸あるに利ろし。曷をか之を用いん。二簋用て享すべし」
〈読み方〉
そんは まことあり。げんきつ。とがなし。ていにすべし。いくところ あるによろし。これをか これを もちいん。にきもって きょうすべし。
〈説明の要点〉
この「山沢損」の損とは、たとえば商売などで儲けられなかったという意味の損ではなく、当然、損すべきことのために財を失い減らすという意味です。
儲けた、損したといった意味ではありません。
損をして、それを惜しむのではなく、損したことに自ら満足を感じる…そういう財の失い方であって、たとえて言えば、租税を納めるとか、災害に遭って苦しんでいる人のために私財を拠出するといったのがこの「損」の意味です。
しかし占いに関しては「失うことに惜しみを感じる」という解しかたも必要となります。
外卦艮は山、内卦の兌はその山の下にある澤です。
澤は、その深さが深いほど、その山を一層高いものにさせます。
そこに、己を減らして他を益すという意味を見ています。
ですから己を損して他を益し、しかもそこに必然の意義を見出し、その欠損を惜しまないのが本当の損ということになりますが、それは真の誠孚がなくてはできません。
それを「損は孚あり」と言っています。
本来、物を失い減らすということには咎があるべきですが、このような誠孚の行いでしたら咎があるはずがありません。
損すべき正しい損でしたら、それは進んで損すべきなのです。
そのことを「元吉。咎なし。貞にすべし。往く攸あるに利ろし」としています。
そして、孚ある損ならば、必ずしも物の豊富なことを求めるわけではありません。
貧者の一燈と言いますが、そういった誠孚があれば、あえて物の多寡にこだわることはありません。
それが「曷をか之を用いん。二簋用て享すべし」なのです。
簋とは、神前に供える食物を盛る器のことですが、正式には八簋を用います。略式ですと四簋となりますが、それを更に簡素にした二簋で祭祀をするということは質素の至りであります。
しかし、それでも孚が充実しているならば、それで良いのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)